「篳篥・朱」の海外アンバサダーをお願いしている
ビルギット・コーラーさん。
彼女は、9月6日に来日し19日まで、
全国9回のコンサートと公開レッスン、
そのハードなスケジュールの中、
やや時間に余裕がある9月17日18日に、
彼女に密着して音楽家向け篳篥の新製品と
「篳篥・朱」の比較試奏を行ないました。
(海外では新製品を”Hichiriki Pro”、
これまでの篳篥を”Hichiriki Plus”と呼ぶ予定です)

17日の試奏場所は、前橋文化会館ホール。
ここは多目的ホールで、室内楽も想定したホールです。
試奏は、17日の本番前の15時から十分に時間を取って行いました。

ビルギット・コーラーさんは、常にバイオリンと弓にそれぞれ一つづつ付けています。
彼女のバイオリンは、オーストリア国立銀行が所有する
「希少楽器コレクション」より、カルロ・ベルゴンツィ、クレモナ 1723 で、
現在日本円で約6億円と言われています。
篳篥を試奏いただくにのは、この上ないことです。

試奏前に、ホホバオイルの充填など、
「篳篥・朱」をメンテナンスしました。
これでかなり「篳篥・朱」はリフレッシュしました。
試奏の際、彼女は初めに、
「篳篥・朱」を付けない状態でソロで数曲演奏しました。
彼女の弾くベルゴンツィは、とても複雑な共鳴と、
美しい響きを持っています。
そこに篳篥・朱を付けると、音色に神々しいエネルギーが加わり、
心から美しいと感じる響きに包まれます、ため息が出ます。
彼女は「これが(篳篥を付けた音)いつもの音」
「(篳篥が)この空間を造ります」とのことです。

リハーサル休憩で新製品の「篳篥」を装着、
私は本当に丁寧に新製品をベルゴンツィと弓に付けました。
すぐさま彼女は試奏を始めました。
30分は経ったでしょうか、かなり厳しい表情で演奏を続けました。
まず私が感じたのは「音色が私を包むように太く」
「音が心にストレートに素早く飛んでくる」
「この上ない美しい響き!」と感じました。
周りにいたアンサンブルプリモの面々も、
顔を見合わせて驚いています。

しばらくして彼女がこちらに来て、
「アメージング」を繰り返した後、
「(私の周りの)空間が広がる」
「ピアノ(弱音)が本当に素晴らしく変わった」
と興奮気味に話ました。

リハーサル後半(ここで本番に向け、テンポやソロの入り方、
譜面のめくりのタイミングなど、多くのことを決める大切な時間です)
に向け、いったんこれまでの「篳篥・朱」に戻そうかと話しましたが、
彼女が「今、バイオリンがどんどん変化している」
「30分くらいかかるかな、この変化を捉えたい」
「もう少しで落ち着くと思うからこのまま(本番に)行く」
その新製品「篳篥」をそのままにリハーサル後半に進みました。
「篳篥」は、バイオリンと弓それぞれ同時に交換しました。

新製品「篳篥」は、あらゆる部材を選別したものです。
選別することで、Ge3値がかなり上がります。
彼女の来日数ヶ月前から、新製品「篳篥」
(海外での呼び名は”Hichiriki Pro”)の話をしていますが、
この数日の電話のやり取りでは「Can‘t wait to try!!!」の連発でした、
彼女は、新製品を本当に心待ちにしてくれていたのです。

ビルギット・コーラー
1982年からウィーン音楽大学で、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、
ライナー・キュッヒルとそのア​​シスタント教師、
イェラ・スピトコヴァに師事。
その後もルツェルンでヴォルフガング・シュナイダーハン、
ロンドンでロバート・マスターズ、
ウィーンでヨーゼフ・ルイッツに師事。
1994年から1996年までウィーン交響楽団の
コンサートマスターも務めた。
それ以来、彼女はバイエルン国立管弦楽団(ミュンヘン国立歌劇場)、
ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、
BBCフィルハーモニー管弦楽団など、
いくつかのヨーロッパのオーケストラで
客員コンサートマスターとして演奏しており、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からも定期的に招かれています。

2003年から2009年まで、
彼女はウィーン音楽大学の助教授を務め、
2011年にはグラーツ芸術大学の客員教授を務めました。

1999年から2008年まで、
「バイエルン放送交響楽団」のメンバーとともに
「ミュンヘン・シュトライヒカルテット」
の第1ヴァイオリン奏者として演奏。

ソリストおよび室内楽奏者として、
ヨーロッパ、日本、南米各地で演奏。

ビルギット・コラーは、オーストリア国立銀行が所有する「希少楽器コレクション」から、カルロ・ベルゴンツィ、クレモナ1723年製バイオリンを演奏しています。